(22) 「夢」の生成 ③イメージと言語(3)「イメージ」と「ことば」の多義性

多義性

多義性とは、
ひとつの「ことば」が、たくさんの意味に使われたり、理解されるということです。

「ことば」は、その名前をつけられたものを指します。
「人」という「ことば」は、「人」を指しています。

「ことば」のおかげで、私たちは、言いたいことが言えるようになりました。

ところがフロイトという人は、「ことば」は、言いたいことを表現するとは限らないと言ったのです。
つまり、ことばの裏に無意識の連想があることを指摘したわけです。

ここで「人」という「ことば」の多義性について考えてみましょう。

いろいろな「人」

「人」からの連想は様々です。

生物的側面から見ると、「人」と言っても男性もいれば女性もいます。


「人」は、食べたり、寝たり、歩いたり、考えたり、道具を使ったりする動物です。


社会的な面から見ると、幼稚園生だったり、大学生だったり、社会人だったりします。


国や組織をつくる動物でもあります。


感情の面から見ると、怒ったり、喜んだり、うれしがったり、楽しんだりするし、好きなものや嫌いなものがあります。

日本人の中には、茨城県人、北海道人、大阪府人、東京都民がいて、アイヌ民族も琉球民族もいるし、縄文人もいれば、弥生人もいて、昭和生まれも平成生まれも、令和生まれもいます。

そして、時代や文化が違うと、「人」の意味も違ってきます。

「人」という「ことば」は、たくさんの意味につかわれるわけです。

そのため「人」と聞くと、たくさんの「イメージ」がわきます。

そして、
「ことば」と「イメージ」が一緒になると、もっとたくさんの意味を生み出します。

会話の多義性

その結果、あるひとつの会話が、人によって違う意味にとられることは少なくないのです。

普通に誤解が生まれます。

コミュニケーションは、その誤解を解くために欠かせませんね。

前回、
「ことば」とは、境界のないものに境界線を引いて、ものごとを区切るというお話をしました。

「共通の特徴」を持つものと、持たないものを区切るのです。

ところが、私たちの心の中は、
そんなに区切られているわけではありません。

それは、「夢」を分析してみるとよくわかります。

「無意識」の中では「時間」にも「空間」にも境界がなく、いろいろなものがゴチャゴチャに混ざっているのです。

「夢」の多義性

たとえば、
「悲しい」気持ちがあるとすると、

今日の「悲しみ」も、1年まえの「悲しみ」も、10年前の「悲しみ」も、50年前の「悲しみ」も、
私たちの心の中(無意識の中)では、全部、つながっています。

夢の中で「悲しみ」を感じた場合、
その「悲しみ」は、これまで体験したすべての「悲しみ」を担っている可能性があるのです。

夢の中の「悲しい出来事」は、たくさんの「悲しい出来事」を代表した出来事なわけです。
多くの意味を含んでいる多義的な出来事なのです。

夢の中に、30年前に住んでいた家が出てきたとしましょう。

夢の中では30年前の家にまつわる思い出が、全部つながっています。

一つの家ですが、たくさんの意味をもっています。

登場人物も、いろいろな意味を担っています。

もしその登場人物が知っている人なら、その意味はある程度しぼることができます。

たとえば、
「夢」に出てきた女性が、母親のイメージと友人のイメージが混ざった人だとします。

このようなとき、
両者に「共通の特徴」を探すのです。

「共通の特徴」を探すために、それぞれについて連想してもらいます。

さまざまな「連想」をすることで、両者の共通点が浮かび上がってくる可能性があるからです。

たとえば、母親も友人も「口うるさい人」だったとします。

すると夢を見た人にとって
「口うるさい女性」は特別な意味を持っている可能性が出てきます。

「イメージ」にも「ことば」にも、無限といってよいほどの意味が含まれていて、
これが「多義性」なのですが、
夢分析をしても、なかなか意味が分からないことが多いのは、多義的だからです。

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