生理的に受けつけない人がいる
●なんとなく苦手
●虫が好かない
●相性が合わない
●どうも好きになれない
経験したことはあるでしょうか。
「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」わけで、イライラするだけでなく、
顔も見たくなくなる人さえいます。
「この人の、ここが嫌」と、理由が言えることもありますが、
特に理由はない」という人もいます。
今回は、「特に理由はない」場合について考えてみます。
ちなみに、この逆パターンが、
ひとめぼれです。
「ひとめぼれ」にも具体的な理由はありませんね。
どうして「受けつけない」の?
●とにかく、最初に会った瞬間から嫌なの!
●「自分と合わない人」は、すぐに分かるんですよ!
●理由なんてない、勘です!
まだ話したこともなく、相手のことを何も知らないのに「わかる」わけです。
鋭い勘がはたらいています。
テレパシーのようですね。
では、「テレパシー」は、何をキャッチしたのでしょう?
本当に「理由はない」のでしょうか?
このような時、
心理学では、「意識できるレベル」では気づいてないだけ、と考えます。
ということは、
意識できないレベル(無意識レベル)で、何かを見たはずなのです。
「何を」見たのでしょう。
生理的に受けつけられない「何か」です。
何を見たの?
私たちは、千年も昔に書かれた小説を読んで感動もするし、
行ったこともない外国の、会ったこともない人の言葉に共感もできます。
人の「こころ」には普遍性があるのですね。
「こころの動き」にも普遍性があります。
ここ百数十年の心理学の研究の中で明らかになったことの一つに、
「自分自身が受け入れていない“自分のこころの部分”は、他人が持っているように見える」というのがあります。
たとえば、「自分勝手な人」がいたとします。
その人は、自分の「自分勝手さ」には気づいていません。
「自分は、自分勝手ではない」と信じているのです。
そのようなとき「こころ」は、他の人の中に「自分勝手な人」を探します。
そして、「自分勝手な人」を嫌悪するのです。
その結果、
「自分勝手な人」のまわりは、「自分勝手な人」が多くなります。
つまり、
相手が、「許せないほど自分勝手」に見えるのは、相手を通して見える「自分自身の姿」であることが少なくないのです。
なぜなら、
自分の「自分勝手さ」を許せない人が、
他人の「自分勝手さ」を許せるはずがありませんから。
このようなことは、
●同族嫌悪
●目くそ、鼻くそを笑う
●類は友を呼ぶ
●似た者同士だからこそ仲が悪い
ともいわれています。
心理学なんて使わなくても、昔から気づかれていたことですね。
人は、「自分の嫌なところ」を他人の中に見つけてしまうのです。
それを初対面で、一瞬で見つけるのです。
すごいですね。
ちなみに、
自分自身が「自分勝手」であることを知っている人や、
それほど「自分勝手」ではない人は、
他人の「自分勝手さ」を嫌悪まではしないものです。
非常に「自分勝手な人」だけが、「自分勝手な人」を嫌うわけです。
じゃあ、どうしたらいいのでしょう?
どうしたらいい?
「生理的に受けつけない」のを「ダメ」と思う必要はありません。
だって、「受けつけない」のですから。
「受けつけない自分はダメ」と思うと、それは自己否定であって、自分を責めることになり、結局、辛くなります。
とりあえず、「生理的に受けつけない」のだと、感じてあげましょう。
そして、次のことを考えてみましょう。
その「嫌な部分」は、人間であれば誰でももっている「こころの要素」の一つのはずです。
なぜなら人類は、身体的に共通した要素(目が2つ、心臓が1つなど)を持っているように、心理的にも「こころの要素」は共通して持っているからです。
ということは、
その「嫌な部分」も、人間であれば全員が持っているのです。
たとえば、「みんな、自分勝手な人ばかり」と腹が立つとき、
あなた自身が「自分勝手」の可能性が高いわけです。
あなたの中の、「嫌な部分」を、探してみてください。
もし、うまく見つけることができたとき、
こころの許容量がグンと大きくなるはずです。
取手心理相談室
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