「せっかく〇〇してあげたのに」
このように思うことはありませんか?
- 「せっかく手伝ってあげたのに・・・手伝って損した」
- 「せっかくアドバイスしてあげたのに・・・しなければよかった」
- 「せっかく心配してあげたのに・・・心配なんてしなければよかった」
- 「せっかくプレゼントしたのに・・・しなければよかった」
- 「せっかくあなたのために来てあげたのに・・・来なければよかった」
「せっかく〇〇してあげたのに」にひそむ無意識の気持ち
――期待が裏切られたための怒り――
どんな怒り?
「せっかく~してあげたのに」と思うとき腹が立って「~しなければよかった」とか「損した」と思ってしまう。
なぜでしょう。
そこには、言葉にしていない「思い」があります。
「・・・」に入る言葉を考えてみましょう。
- 「せっかく手伝ってあげたのに、私にありがとうも言わないなんて」
- 「せっかくアドバイスしてあげたのに、私の言う通りにしないなんて」
- 「せっかく心配してあげたのに、人(私)の気も知らないで」
- 「せっかくプレゼントしたのに、使わないなんて」
- 「せっかくあなたのために来てあげてるのに、感謝の気持ちもないなんて」
お気づきでしょうか?
「せっかくあなたのために〇〇してあげたのに」は、相手を非難している言葉ですね。
何を非難しているのかというと、
私に感謝していない、私を大切にしていない、私を認めていない、私の気持ちが分かっていない、私を評価していない、私の存在に気づいていない、私に失礼だ・無礼だなどです。
どんな期待?
「手伝ってあげた」のは、「感謝してもらうため」でした。
「心配してあげた」のは、「こんなに心配するほど優しい私を知ってほしかった」のでした。
「あなたのために来てあげた」ように見えて、実は「感謝してほしかった」のです。
つまり、「~してあげた」ことは、「あなたのため」ではないのですね。
私を褒めもらうため、私を認めてもらうため、感謝してもらうため、私を大切にしてもらうため、なのですね。
ぜんぶ「自分のため」ですね。
本当に「相手のため」なのであれば、相手がどのような反応をしても「相手側のこと」で、「相手は自由」ですから、「私」とは関係ないはずなのです。
プレゼントの場合
たとえばプレゼントをしたとき、相手の反応は気になるのは自然なことです。
しかし、プレゼントは相手の手に渡っています。
プレゼントは、もうあなたのものではなく、相手のものです。
相手のものを相手がどう扱おうと、あなたとは関係のないことのはずですね。
でももし相手の扱い方が気になるとしたら、あげたのに「自分のもの」と思っていないでしょうか。
「こんなに雑に扱って」
「すぐ失くしてしまって」
と思うのは、まだ自分の手から離れていませんね。
あなたがあげたプレゼントを、相手がどのように扱うかは、相手の自由だと思いませんか?
たとえ処分したり、別の人にあげたり、すぐ失くしてしまったとしても、相手のものですから、とやかくいう権利はあなたにはもうないはずですよね。
それを、「私があげたプレゼントを大事に使ってほしい」と思うとしたら、自分勝手な期待を押しつけてることになります。
それで、腹が立つとしたら、「相手が自分の思い通りにならない怒り」ということになるでしょうか。
少なくとも相手はプレゼントを突き返してきたのではなく、受け取ってくれたのです。
その意味で、「あなたの気持ちや好意」は、すでに受け取ってくれていると思いませんか。
受け取ってくれて、ありがたいですね。
あなたが一生懸命プレゼントを探した努力は、受け取ってもらったことで報われているはずなのですから。
アドバイスの場合
アドバイスの場合はどうでしょう。
もし、相手があなたのアドバイス通りに行動したらどうでしょう。
「それで、よし」と思うでしょうか?
あなたのアドバイスに従わない人には「それでは、だめ」と言いたくなりますか?
従う人は「良い人」で、従わない人は「ダメな人」と感じますか?
もしそうなら、あなたは相手を支配し、コントロールしようとしていることになります。
あなたには、相手を思い通りに動かしたいという気持ちが潜んでるかもしれません。
では、なぜそのような気持ちになるのでしょうか。
そこに、「本心」が隠れています。
本心の例
私は誰よりも正しい答えを知っているのをほめてほしい。
私の実力を示したい。
一目(いちもく)おいてもらいたい。
私のアドバイスが的確なのを評価してほしい。
私は間違っていないことを示したい。
私の意見を大切にして(=私を大切にして)。
いかがですか?
無意識の中でこのように思っているとき、アドバイスに従わない人に腹が立つようです。
でもよく考えると、あなたのアドバイスを聞いてくれたことで、あなたは既に評価されているのではないでしょうか。
そして、アドバイスを採用するかどうかは相手の自由ですね。
これらのことから、逆のことも考えることができます。
あなたがプレゼントをいただいたとき、どのように扱ってもあなたの自由です。
「いただいた時点」で、(突き返していないのですから)相手に対して感謝の気持ちは伝わります。
あなたがアドバイスしてもらっても、その通りに行動するかどうかは、あなたの自由です。
アドバイスは、行動の選択肢の一つとして受け取りましょう。
あらたな選択肢を与えてくれた相手に感謝しつつ、判断するのはあなた自身です。
判断は、あくまでもあなたの自由ですね。
相手に気兼ねしたり、気をつかう義務はないのです。
だって、あなたの人生ですから。
大切なのは「相手の自由を大切にする」ということです。
そして、もっと大切なのは
あなた自身が「自分の自由を大切にできる」ということです。
そうすると、「せっかく~してあげたのに」という言葉は思いつかなくなります。
「せっかく~してあげたのに」と言われると、罪悪感と同時に腹が立つ理由
「せっかく~してあげたのに」という表現には、「あなたのために」が強調されます。
言われた人は、「私のために~してくれて、申し訳ない」と思うわけです。
それが罪悪感です。
ところが、本当は「あなたのため」ではなく「自分がほめてほしいため」であることは伝わります。
意識では気づかなくても、無意識には分かるのです。
それが「怒り」として感じるということになります。
だから、私のために骨を折ってくれて申し訳ないと思うのに、なぜか分からないけどムカッとするということになります。
「せっかく~してあげたのに」と言わなくなるために、
そして、言われても気にならなくなるために、
カウンセリングはお役に立ちます。
取手心理相談室
担当者プロフィール
電話: 080-5687-8508
メール: toride.shinrioffice@gmail.com