(6) 価値観の押しつけ

価値観の押しつけ

前回の「あなたって、〇〇ですよね」は、「決めつけられる」についてでした。

今回は「価値観を押しつけられる」ことに注目してみたいと思います。

たとえばこんなことです。

● あなたが早起きすると、「そんなに早く起きたって、することないでしょ」

●  あなたの仕事の段取りについて、「そのやり方、めんどくさいでしょ」

●  あなたの洗濯物の干し方について、「こんな干し方、普通しないよ」

●  あなたの家について、「広くて掃除が大変でしょ?」

●  独身の人に、「独身は自由でいいね」

●  あなたの買い物に、「これ、一体いくらだったの?もったいない」

●  悩みを相談すると、「何よ、そんなことくらいで。わたしだって我慢してるのよ」

●  愚痴ったとき、「昔は、そんなの当たり前だった」

●  実家の伝統的な行事の話をしたら、「古い!」

●  質問すると、「そんな常識もしらないの?」

●  何気ない行動に、「そんなこと、普通しないよ」

言われてムカッとして「失礼な人」と思っても、

言い返さないままにすることが多いのではないでしょうか?


反論するとしたら、何と言いますか?

「そんなに早く起きたって、することないでしょ」

⇒なんで早起きしちゃいけないの?私は早起きしたいから、する。

「これ、一体いくらだったの?もったいない」

⇒いくらだっていいじゃない。私は、もったいなくないもん。

「何よ、そんなことくらいで。私だって我慢してるのよ」

⇒「そんなことくらい」って何?

 あなたが我慢できることとは違うのよ。

どうでしょうか?

思い出すだけで腹が立つ人もいるのではないでしょうか。

ここで前回の、怒りが生じる「とき」について、復習をしましょう。


怒りが生じる「とき」

  • 傷つけられているとき
  • 権利が侵されているとき
  • 欲求や望みが適切には満たされていないとき
  • 何かが間違っていると感じるとき


今回のテーマの「価値観の押しつけ」でも、①~④まで全部当てはまります。

「何よ、そんなことくらいで。私だって我慢してるのよ」で考えてみましょう。

  • 傷つけられている

自分が大変だと思っている事柄について、「そんなこと」と軽視され、侮られ、蔑まれ、否定されて傷つく。上から目線の傲慢な態度からも、見下され、バカにされたと感じて傷つく。

  • 権利が侵されている

「私が我慢しているのだから、あなたも我慢するべきだ」と言われてる。

我慢するかしないかは、自分が決める権利なので、権利を侵されている。

  • 欲求や望みが適切には満たされていない

「自分は大変」ということを分かってほしいという気持ち(欲求や望み)もあったのに、満たされない。

  • 何かが間違っていると感じる

「自分は大変」と言ったことに対して、相手が自分の大変さを訴えているのは、相手の話を自分の話にすり替えた状態。

このようなとき、「なんか変だな、なんか間違ってる」と感じる。


「そんな常識もしらないの?」や「そんなこと、普通しないよ」

は、どうでしょう。

この言葉も、①~④が全部はいっています。

自分の持っている価値観が「正しい」、あなたは「間違っている」と言っています。

あなたを否定して、自分の価値観を押しつけています。

相手は傲慢で、あなたを馬鹿にしていますね。

ところで、「常識」や「普通」は絶対なものでしょうか?

「常識」・「普通」は変わる

今現在、あなたが「常識」と思っていることは、100年前はどうでしたか?

逆に、100年後にも通じるでしょうか?

その「常識」は、他県ではどうでしょうか?

さらに、外国ではどうでしょうか。

「衣服」について考えてみましょう。

江戸時代まで日本人は日常で和服が当たり前でした。

それが「普通」であり、「常識」だったのです。

今は違います。

「言葉」もそうですね。

「言葉は生きている」と言われるように、日々変化しています。

使い古された言葉は死語となり、新しい言葉がどんどん生まれていきます。

この数十年で文法さえも、変化してきています(「らぬき言葉」もその例です)。

「普通」も「常識」も、常に変化の中にあります。

だから、「絶対正しいこと」はないと言っても過言ではありません。

人によって異なる「常識」・「普通」

ものごとを判断するとき、だれでも、自分の価値観に照らし合わせて判断します。

誰にとっても、自分の中の「常識」や「普通」が基準なのです。

それがあるからこそ、「判断」ができるのですから、自分にとっての「常識」や「普通」は大事です。

「常識」や「普通」は、生まれてから今までの体験や得た知識によってつくられます。

ですから、人が違うと違って当たり前ですね。

価値観や考え方は、皆、少しずつ違うのです。

違うだけで、それ以上でも、それ以下でもない。

正しいわけでも、間違っているわけでもない。

世の中には、どっちとも決められないことの方が多いのです。

何とかして、分からせようとすると、どちらが正しいかという争い(喧嘩)になります。

だれでも、自分のことを分かってほしいと思っています。

だから、相手の価値観を押しつけられると、ムカッときます。

「常識」を押しつけている人も、実は「自分の常識を分かってほしい」のですけど。

しかし、です。
矛盾しますが、

もしあなたが、相手を否定して、自分の正しさを主張したとします。
そうすると、それが「絶対にダメ」とも言えないのです。

「そうせざるを得ない、深い理由」があるからです。

「なぜ、相手を否定してまで、自分が正しいことを、わかってほしいのか」

その気持ちの背景には、こころの傷つきがあるはずです。

そうせざるを得ないご自分を大切にしましょう。

取手心理相談室
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