前回は、私たちは一つの出来事を「意識」と「無意識」の両方で体験しているというお話をしました。
私たちは、「意識の世界」と「無意識の世界」の両方の世界に生きているとも言いました。
夢は、この「意識」と「無意識」の相互作用で生成されるのです。
では、「意識」的な体験と、「無意識」的な体験は、どこがどう違うのでしょう。
意識的な体験
「意識」は、「ことば」ととても深い関係があります。
まだ話せない赤ちゃんを思い出してみましょう。
赤ちゃんは「意識的」ではありませんね。
赤ちゃんは無意識の中にいます。
だから、赤ちゃん時代のことはあまり覚えていないのです。
私たちの記憶は、ことばを話せるようになってからの方が断然多くなります。
ことばには文法があります。
決まった語順に従って、ことばをつなぎます。
つまり、意識がしていることは、
自分の前にいろいろなモノを「集めて」、集めたものを「並べて」、それを「分類する」ことです。
これは人工知能的な「知性」です。
「意識できること」は、「ことばにできること」と言っても言い過ぎではありません。
「考える」や「思う」や「感じる」などは、全部、ことばにできますね。
では、無意識的な体験はことばにできないのでしょうか?
無意識的な体験
そうなのです。
できないのです。
無意識的な体験は、ことばにした瞬間に「意識」されます。
では、無意識の中はどうなっているのでしょう?
無意識の中には「時間」はありません。
だから、1年が長かったり短かったりします。
「空間」もありません。
だから、一瞬で過去に戻ったり、未来に行ったりします。
「分類」したり「区別」することはありません。
もし「ことば」があるとすると、メタファー(比喩)にあふれた詩的なことばです。
だから、夢分析では連想(メタファー)を大事にします。
無意識の中の出来事には「原因」も「結果」もありません。
多くの似たモノ同士がくっついたり、離れたり自由に動いていると考えられています。
つまり、モノゴトを並べることなく、分類することなく、原因のことも結果のことも考えず、時間も空間も無視して、一瞬で、直観的に、全体をつかむ「知性」です。
(最近、思想家の中沢新一さんが「レンマ的知性」と呼びはじめている知性に近いと思います)
「夢」は、この「知性」(無意識の知性)からのメッセージです。
この「無意識」からのメッセージを「意識」がとらえたものが「夢」なのです。
(12)に続く
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