(21) 「夢」の生成 ③イメージと言語(2)「イメージ」を「ことば」にする

私たち人間は、「ことば」を使います。
しかし、すべてを「ことば」にできるわけではありません。

例えば、
ある一枚の「絵」を「ことば」で説明するのは困難です。
映像も、そのまま「ことば」では表現できません。

夢分析では「夢」をことばにして記録してもらいますが、とても大変な作業です。
「映像」だからです。

他に、強い感情が動いた時や、体験したことも「ことば」で伝えるのは難しいです。
私たちの行動や体の動きも「ことば」にできないものがたくさんあります。

そう考えていくと、世界は「ことばにできないイメージ」であふれていることに気づきます。

世界中のものは、「イメージ」はできても、「ことば」にできるものはわずかなのです。

では、逆はどうでしょう?
逆というのは、
「ことば」の持つ「イメージ」についてです。

「ことば」の「イメージ」

前回、ヘレンケラーのエピソードに関連して次のように言いました。

「水の感覚」の「イメージ」と、「み・ず」という「音(発音)」が結びついたとき、はじめて、「み・ず」という発音が、「水」を表わすことばとして使えるようになりました。

こうして、「水」は、「水のイメージ」を伴った「ことば」となるのです。

つまり、
「ことば」は「イメージ」を伴っているわけです。

私たちは、「イメージ」を「ことば」で伝えるとき、
「イメージ」に合った「ことば」を選びます。

一見、何の問題もないように思えます。
でも、「イメージ」と「ことば」はイコールではありません。

さきほども「イメージ」を「ことば」にするのは難しいと言いました。

「ことば」の持つ「イメージ」が、最初に「イメージ」されたものと同じではないのです。
伝えたとおりの内容が伝わらないということです。

たとえば、
一枚の絵を「ことば」で伝えたとき、相手の心に浮かぶ「絵」は、どんな絵でしょう?

相手は、違う「絵」をイメージしているはずです。
「ことば」を元にして、新たな「イメージ」を創るからです。

「ことば」と「イメージ」が一致していないために、そういうことが起きます。
たとえば、「犬」の「イメージ」は、人それぞれですね。

「公園にかわいい犬がいたよ」と言ったとき、相手がイメージする「犬」は、子犬かもしれないし、柴犬かもしれないし、シェパードかもしれません。

「犬」という「ことば」は「犬」を指しますが、
「犬のイメージ」となると一人ひとり、みんな違うのです。

このように、「イメージ」を「ことばにする」と、別のイメージが創られるというわけです。

ここで、「ことばにする」とはどういうことなのか考えてみましょう。

「ことばにする」

人間には、イメージをことばにする能力があります。
それは、「似たもの同士を一つにまとめる」能力といってもいいかもしれません。

「ことば」については、次のように言われています。

無限に存在する個体や、無限に存在する動作、無限に存在するモノ同士の空間上の位置関係などをカテゴリーにまとめ、共通の特徴のみを問題にして、世界を整理し、世界にもともと存在していない境界線を引く。

ちょっと難しいですね。
つまり、こういうことです。

ことばは、「この世に存在する、たくさんのもの」や「どこまでも続く空間」や「永遠に刻み続ける時間」などに、バシッと境界線を引いて分割してしまうのです。

「共通の特徴」だけに注目して、「同じもの」と「違うもの」をバシッと分けてしまうのです。

たとえば「時間」には区切りはありません。
「きょう」と「あした」の間に線が引かれているわけではありません。

「空間」にも区切りはありません。
千葉県と茨城県の空気の色が違うわけではないし、大地に線が引かれているわけでもないのです。

「ことば」は、
このような境界線のない「もの」や「現象」に、境界線を引いて「名前」をつけるのです。

ここまでが「きょう」、ここからは「あした」と線を引いて、「名前」をつけてしまいます。
おかげで、「きょう」という時間が「イメージできる」ようになるわけです。

「千葉県はここ」、「茨城県はここ」と分けて、それぞれ千葉県、茨城県と名前を付けると、どこにいても千葉県や茨城県の話ができるようになるということです。

地球上にたくさん存在する動物は、共通点をもとにして分けて、それぞれ名前をつけます。

たとえば、
海に住む動物と空を飛ぶ動物を分けて、「魚」、「鳥」と名前をつけるわけです。

このように「ことば」とは、境界のないものに境界線を引いて、ものごとを区切るものなのです。

区切ることは、他のものとの違いを明らかにすることです。
区切られた一つひとつに名前をつけると、とても便利ですね。

現物がなくても「魚」と聞けば、どんなものか分かります。
「名前」がつくと、覚えやすくもなりますね。

「意識」しやすくなるのです。

「ことば」と「意識」

前にも触れましたが、「ことば」と「意識」は、関係が深いのです。
反対に「ことばにならないもの」は、「無意識」に近くなります。

「ことば」のない「無意識」の中に「ことば」が切り込むと、その瞬間に「ことば」の部分が切り取られ、「意識」に組み込まれます。

すると、「意識」できるようになります。

たとえば、
無意識の中にあった、もやもやしたものが、何かの拍子に「ことば」になることがあります。

●ふと、思いついた
●心に浮かんだ
●ハッと気づいた
などは、「無意識」の中にあったものが「意識」に組み込まれた瞬間です。

それまでは「ことば」にならなかったけど、「意識」に組み込まれると、「ことば」になります。

もやもやしていたものが意識できて、何だったのかわかるわけです。

さきほど、「無意識」の中に「ことば」が切り込むと言いました。
実はこの「切り込み方」がさまざまなのです。

「切り込み方」によって、何が切り取られるかが変わるのです。
「夢」を「ことば」にするとき、こういうことが起きています。

つまり、
「切り込み方」によって、同じものが「違うことば」になったり「違うイメージ」になったりします。

逆に違うものが「同じことば」になったり、「同じイメージ」になったりして、夢にあらわれます。

こうやって、もやもやしている「無意識」は、切り込み方によっていろいろな姿で「夢」にあらわれるわけです。

ここに「イメージ」と「ことば」の相互交流が起きているのですが、次回は「イメージ」と「ことば」の特性についてです。

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